皆瀬川本流の滝で、上部が雌滝と呼ばれ、ここから小安峡は始まっています。本流の滝だけあって、水量は圧倒的です。
不動滝の下部は雄滝と呼ばれていますが、どこからが雄滝なのかはっきりしません。写真はゴルジュの屈曲部で岩壁を削りながら60m下の渓谷まで落ちていきます。
実はこの小安峡の滝の名称は相当に複雑に入り組んでおり、ややこしい事になっています。
菅江真澄も1814年にこの滝を訪れており、その絵図によると北西向きの不動滝全体が雌滝、北東向きの女滝が雄滝となっています。
皆瀬川本流の滝で、上部が雌滝と呼ばれ、ここから小安峡は始まっています。本流の滝だけあって、水量は圧倒的です。
不動滝の下部は雄滝と呼ばれていますが、どこからが雄滝なのかはっきりしません。写真はゴルジュの屈曲部で岩壁を削りながら60m下の渓谷まで落ちていきます。
実はこの小安峡の滝の名称は相当に複雑に入り組んでおり、ややこしい事になっています。
菅江真澄も1814年にこの滝を訪れており、その絵図によると北西向きの不動滝全体が雌滝、北東向きの女滝が雄滝となっています。
火雷(からい)神社近くにあった不動の滝です。 通称、田代の不動滝です。その名のように周辺の田代盆地の水田をその水で潤しています。 火雷神社には1930年の北伊豆地震による石段と鳥居の間に約1mの横ずれが残っており、伊豆半島ジオバークの100選の一つとなっています。 滝の上...
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