石尊山の登山道近くにあります。
近寄ってみたところです。
撮影は2008年7月です。
V字型の谷から勢いよく落水が飛び出しています。
下流の花貫ダムからは海が見えるそうですが、この付近だともっと高い場所に行かないと海は見えそうにありません。
正面からの写真です。
もう少し水量がほしい所です。
撮影は2008年7月です。
不動滝とこぐろ淵は「コグロ淵と鞍掛石」という伝説が伝わっており、同一の場所と判断しました。なお、滝の主がカッパになっているのが、カッパ伝説です。
もう少し水量があると迫力があって良いのですが、かつてはもっと水量があったそうです。
撮影は2008年7月です。
正面からの写真です。
横からの姿とはかなり印象が異なります。
淵越しの写真です。
滝は広い淵を湛えています。
撮影は2008年7月です。
花貫ダムのすぐ先にあります。
淵の主の大蛇の子と見なされた馬がこの淵に沈められ、その後、その村人の村が大洪水で流された伝説があります。
深々とした滝壺は大蛇の住処にふさわしい雰囲気を醸し出しています。
撮影は2008年7月です。
グーグル・マップでは県道111号線が関根川を大滝橋・小滝橋を横切っていませんが、橋の橋脚名プレートには関根川の文字があります。
なお、いずれの滝も国土地理院の滝記号はありません。
真上に大滝橋があり、見つけやすいですが、今一歩、情緒に欠けます。また、滝の見える位置は草ぼうぼうでした。
グ-グル・マップで橋名を確認しようとしたら橋脚名プレートのうち、漢字の2枚が外されていました。盗難にあったのでしょうか。グ-グル・マップで橋脚名や看板を確認しようとすると画像処理で見えなくしてある事が度々あります。そこまで神経質になる必要があるのか疑問です。
この滝にも猿の名が使われていますが、猿ヶ城渓谷の名前は、源頼朝に攻められてこの地に逃れてきた佐竹氏に猿が木の実を集めてきて救ったという伝説に由来しています。
撮影は2008年7月です。
滝の近くには特に道などは整備されていないので、写真を撮るのに沢を登ったり降りたりすることになるので、訪問には足元をしっかり装備して、滑ったり転んだりしないように気をつけて下さい。
上段部の写真です。
滝のどの部分を撮るかによって滝の表情は変わります。
撮影は2008年7月です。
道路沿いにあるお手軽滝ですが、規模はさほど大きくありません。
花園渓谷を流れる川と花園神社を流れる川の名前は両方とも花園川あるいは花園渓谷としている記述もあり、結局、よく分かりませんでした。どちらかというとこちらの方が花園川のようですが、はっきりしないので、こちらは花園渓谷としました。
滝の下流左岸の岩肌です。
滝壺近傍のつるっとした岩のブロックとその右隣の白っぽい少し筋の入った岩と更に右側の薄い板状節理の岩が其々異なる表情を見せており、興味深いです。
撮影は2018年7月です。
花園神社の七つ滝です。
全部で七段ある大滝で、一目では全容を掴む事ができません。袋田の滝に次いで茨城県の名勝に指定されています。
左端に七滝龍神の石碑が見えています。
一の滝(最下段)のアップです。
上に見えているのが二の滝のようです。
三の滝だと思います。
最も滝壺が深いと云われている四の滝です。
この滝壺にはアワビが棲んでおり、磯原海岸の亀井磯から竜宮城に繋がっているという伝説があるそうです。
撮影は2008年7月です。かつては遊歩道の突き当たりにある発電所の右奥に遠目で見る事ができましたが、震災以降で遊歩道が途中から通行止めにされてしまったようです。
当時も更に発電所の上に続く階段は立入禁止となっており、ここまでしか行きませんでした。
鮎千の滝の名称については情報を得た当時、鮎干の滝の間違いかもと見直ししましたが、少なくとも情報元のサイトでは千でした。書籍の「茨城の滝」では干になっています。
ズームで拡大した写真です。
撮影は2008年7月です。
浄蓮寺渓谷の弥四朗の滝です(多分)。
以前に調べた際、上流の鮎千の滝と末広の滝の間にあり、対岸にあるとの情報がありましたが、今回、調べると2つある対岸の滝はいずれも人工滝のようです。境内の人工滝に不動滝の命名は自然として、弥四朗の滝というのはないでしょう(誰かも不明でした)。
そのため、この滝だと推測されます。
浄蓮寺は1574年と1848年に火事があり、それがなければ滝の由来等も分かったかも知れません。
別名は扇の滝というようです。
花園川本流の滝なので、水量が多い時は写真のような姿を見る事ができます。
浄蓮寺境内および境内の渓谷は有料ですが、渓谷の遊歩道は途中で通行止めになっているようなので、事前に確認した方が良さそうです。
三十三体観音は現在でも全て拝観可能なようです。
末広がりの直ぐ上の流れです。
花園山と浄蓮寺は茨城百景の一つで、浄蓮寺は茅葺きの本堂と三十三体観音で有名です。三十三体観音は千年もの昔のものだそうです。
この滝は浄蓮寺境内の花園川左岸に落ちていますが、どうやら人工滝のようです。国土地理院地図で見ると左岸の流れ2つは水路から導水されているように見えます。
行司ヶ滝遊歩道を行司ヶ滝から更に5分程進むとこの滝の落ち口に辿り着くそうです。
小生は高瀬川側から行司ヶ沢を遡って行司ヶ滝を目指しましたが、途中であきらめた時にたどり着いた滝です。
行司ヶ滝は目と鼻の先だったんですね。
途中にあった名称不明滝です。
調べましたが、岩の名前と場所は分かりませんでした。
日本の滝100選で尾瀬五大滝の一つでもあります。
雪解け時の水量は日本一とも言われる凄まじさです。水量があまり多くない時は三筋の滝となり、その滝の名の由来とも言われますが、はっきりしていないようです。
滝の巨大さに写真だとスケール感が良く分からなくなります。百聞は一見にしかず。一度は現地でご覧になる事をお勧めします。
滝の下側です。
この写真だけでもその存在感が伝わるかと思います。
渋沢大滝の左手にあり、渋沢温泉小屋の廃業と共に幻の滝となりつつあります。
周辺には左の写真のような同様な滝もありました。
渋沢には温泉成分が流れ込み、白濁した沢の水が青みを帯び、温泉成分が周囲の岩に沈殿し、独特の光景を生んでいました。
近くにあった渋沢温泉小屋が2015年に大雪で倒壊、廃業してから周辺の登山道が廃道化、滝への訪問は今や容易ではないようです。
滝壺付近です。
尾瀬五大滝の中では比較的滝壺に近寄る事が容易でしたが、今は昔の事となりました。
その名の由来は平安時代の十二単(じゅうにひとえ) の背面につけた半スカートのような装飾具という説と沢沿いに多く植生するサルオガセが木の枝に垂れ下がる様子とも伝わりますが、定かではないそうです。
展望台からは少し距離があり、やや遠望となります。
撮影は2007年9月です。
特徴 B6版200ページのモノクロ冊子です。愛媛文化双書の第18巻で、初版は1974年です。 登山道の概要説明だけでなく、山や神社の歴史、自然などに触れた記述もあります。 略図には沿道の植生も記されていたりします。 古い本なので、現在とは地名や地形が大きく変わっているものもある...