滝自体が温泉という珍しい滝です。湯温はあまり高くないので、夏季以外は入浴に向きません。また、酸性が強いので、目に湯が入るととても沁みますのでご用心。
滝をアップした写真です。
滝周辺はデイサイト質凝灰岩類から成ります。
著名な滝のせいか、国土地理院の滝記号は点4つとなっています。
滝自体が温泉という珍しい滝です。湯温はあまり高くないので、夏季以外は入浴に向きません。また、酸性が強いので、目に湯が入るととても沁みますのでご用心。
滝をアップした写真です。
滝周辺はデイサイト質凝灰岩類から成ります。
著名な滝のせいか、国土地理院の滝記号は点4つとなっています。
川原毛地獄はゆざわジオパークの高松(三途川・川原毛)にあり、青森県の恐山、富山県の立山と並ぶ日本三大霊地の一つです。
川原毛地獄の駐車場近くの山神社のすぐ下にあります。
川原毛大湯滝の源泉があり、95℃のお湯が湧出していますが、危険なので周囲は立ち入り禁止です。
子翼の滝からの改名で、左の写真の一番手前の滝です。
川沿いの小さな建物と覆いかぶさる木々で半ば隠れてしまっています。隠れ滝というのはこの滝を指すのかも知れません(あるいはよく枯れている男滝の事かも)。
国土地理院の地図で見ると一応、自然の川からの滝に見えますが、小安峡で滝マークがついているのは不動滝と女滝だけです。
大噴湯側から見た左の写真で、手前から2番目の左岸の滝です。
ちょうず滝の記事で触れたように下の沢滝が改名されたものです。
国土地理院の地図を見ると湧き水でもない限り、自然の滝ではなく、女滝沢あるいは手前の龍神の滝の名称不明沢から人工的に分岐された滝のようです。大噴湯側から見た時に不動滝や男滝・女滝は小さくしか見えないために作られたと推測しています。滝の位置が女滝と龍神の滝のほぼ中間というのもその説が正しい事を示唆しています。
不動滝・男滝の記事でも触れたようにこの滝がかつての雄滝です。左の写真で左奥に小さく見えているのが右岸の男滝でかつての薬師滝(推論です)、左岸奥から女滝・銚子の滝・龍神の滝となります。雄滝・雌滝の名は過去の名称として残っているので、不動滝の上段部と下段部にその名を押し込んだのだと思われます。
国土地理院の地図には女滝沢の記載があり、雄滝から女滝への名称変更はかなり以前の事であり、不動滝同様に天然の滝だと思われます。
不動滝側からの小安峡の写真です。
右手に右岸の男滝、一番手前に左岸の女滝があるはずですが、木々に遮られて全く見えません。女滝が大噴湯から小さくしか見えない事から男滝を作り、不動滝側からの見栄えの向上を図ったものと思われます。左岸に見えているのは手前が銚子の滝、奥が龍神の滝です。
小安(おやす)峡の男滝(明神の滝)です。
現在の滝名は男滝から改名されて明神の滝ですが、以下の説明のため、男滝としています。
小安峡の不動滝の記事で触れたように、かつては対岸の女滝が雄滝でした。そうすると現在、女滝と対のこの男滝は一体、何者ということになります。国土地理院の地図を見ると皆瀬川の右岸に並行して地下水路があり、そこから引き出された人工滝のようです。これだけの規模の滝が季節で枯れてしまう理由も得心がいきます。
もう一つの謎、小安峡には不動滝、薬師滝があるという記述が方々に見受けられますが、この滝が人工滝だとすれば、不動滝に比翼する存在として不動に対する薬師滝と命名されたのではないでしょうか。その名は不動滝と地下水路との間にある薬師堂に由来しているのでしょう。その後、対岸の雄滝と比較して薬師滝が男滝となり、雄滝が女滝に格下げされたのが真相ではないでしょうか。
小安峡の滝群の名前は前の記事のちょうず滝でも触れたように割と簡単に変えられてしまうようで、それが滝名の認識の混乱の元だと思われます。
不動滝の雌滝と雄滝の間の皆瀬川右岸に落ちている滝です。左の写真中で左端の支流の細い滝です。
小安峡には5滝あると言われており、参照としたガイドマップには以下の2通りがありますが、いずれもこの滝は入っていないようです。
1. 不動滝、男滝、女滝、下の沢滝、子翼の滝
2. 不動滝、明神の滝、女滝、銚子の滝、龍神の滝
実は1.と2.は同じイラストマップの旧版と新版です。旧版では、対岸のはす向かいの男滝と女滝で一対の名称でしたが、新版では男滝等の名称が上書きされています。
皆瀬川本流の滝で、上部が雌滝と呼ばれ、ここから小安峡は始まっています。本流の滝だけあって、水量は圧倒的です。
不動滝の下部は雄滝と呼ばれていますが、どこからが雄滝なのかはっきりしません。写真はゴルジュの屈曲部で岩壁を削りながら60m下の渓谷まで落ちていきます。
実はこの小安峡の滝の名称は相当に複雑に入り組んでおり、ややこしい事になっています。
菅江真澄も1814年にこの滝を訪れており、その絵図によると北西向きの不動滝全体が雌滝、北東向きの女滝が雄滝となっています。
小安(おやす)峡の大噴湯です。
ゆざわジオパークの小安ジオパークにあります。
1814年に60歳の菅江真澄が訪れていますが、今のように整備された階段があった訳ではなく、どれだけ超人だったのか驚くばかりです。
滝とは呼ばないかも知れませんが、自分的には滝と同様に鑑賞すべきものと思います。
観光地の真ん中なので、観光客が多いです。中には崖の階段を降りるのがおっくうという方も多いですが…。
崖からも噴き出す湯気や熱水がしたたり落ちています。
右手がダム筐体で左手が放水路です。
藤倉ダムは明治44年完成で近代化遺産として国の重要文化財に指定されています。
ダムの上の赤い橋は曲弦ワーレントラス構造で、藤倉ダム管理橋として鉄の橋百選に選ばれ、藤倉水源地堤上架橋と命名されました。現存の明治期道路橋としては10傑に入るそうです。
放水路側のアップです。
放水路は木材も流せるように傾斜が緩やかになっており、滝のような独特の美しさがあります。岩盤を掘削して作られたため、凸凹が残っており、自然な滝のように見えます。
太平山登山口入口にある金山(かねやま)滝です。
秋田ふるさと百景に選ばれています。
写真は最下段の女滝です。
最初は横から見る形になり、その横姿の方が良く知られていますが、水量があまり多くなかったので、斜め上からの写真を選びました。
女滝の上です。
滝が続いています。
女滝の上の男滝です。
段瀑になっています。
男滝の滝壺を上から。
つづら折りに落ちている滝の様子が分かります。
最上段の神の滝です。
この滝はあまり水が流れていませんが、雪解け時期などは水量豊富で迫力ある滝が見られます。
一湯、六滝、三島、十二名所があると言われており、六滝とは、白糸の滝・回顧の滝・相沢奥滝・棚掛の滝・立巻瞰下し(みおろし)の滝・百尋の滝(行田大滝)です。
抱返神社から県内最古の神の岩橋を渡り、ハイライトの回顧(みかえり)の滝までのコースとなっています。かつてはその先の神代ダム・夏瀬温泉までの約10kmのコースとなっていました。
白黒のツートンカラーが特徴的です。全国の灯台の中でも「のぼれる灯台16」の一つに数えられ、日本の灯台50選にも選ばれています。
灯台を見上げた写真です。
秋空の流れる雲にそびえ立つツートンカラーの灯台のコントラストが魅力的です。
菅江真澄もこの入道埼を1810年に訪れています。
奥の石柱が北側、手前が南側で中央の御影石は日時計になっています。
入道埼から南下した八望台から見えるマール(二の目潟)です。マールは円形の小噴火口で一の目潟~三の目潟まであります。
現在は回顧の滝~夏瀬温泉間の遊歩道が廃道化しているため、行く事ができません。
滝上部のアップです。
狭まった隙間から流れ出ていますが、落ちる直前にじっくいの沢という沢が合流しています。
少し角度で見ると滝口は丸くくり抜かれたようになっています。
滝口を更にアップした写真です。
丸い滝口が良く分かると思います。
滝壺付近の写真です。
裏見もできたようです。
現在の観光マップでは回顧の滝が玉川に流れ込む最下段を棚掛滝としていますが、古い看板を見ると回顧の滝から離れた別の滝です。現在は回顧の滝より先は通行止めとなっており、現在は訪問できません。場所は飯村少年忠魂碑の少し先です。
下側です(上の写真と重複部あります)。
遊歩道からの写真なので、更に玉川に落ちる部分もありますが、記録に残していません。
現在の観光マップでの棚掛滝です。
左上に2段の回顧の滝が見えていますが、その斜め右下に玉川との合流部があり、これを棚掛の滝としています。微妙に名前が違うのは意図的かも知れません。
写真はまだ遊歩道が夏瀬温泉まで通れた頃のものです。
かつては上段を相沢奥滝、下段を回顧滝とも呼んでいました。道も狭く、行き交いにお互いに抱えて返さなければ通れなかったため、抱返り渓谷と呼ばれたそうです。この滝の名は何度も振り返ってみたいほど、という事から付けられました。
撮影は2015年9月です。
離れた場所から見ると上段も下段に負けない位の高さがあります。少し古い写真となります。
落水が勢いよく宙に飛び出しています。
滝の上部に穴が開いており、そこから滝の水が落ちています。こうした滝は他に石川県の桶滝が有名ですが、珍しい滝です。
菅江真澄も1810年に訪問しています。
昔は滝の上に桜の木があり、花見も楽しめたようですが、真澄が見た時には既に枯れてしまっています。
この滝に至るには長靴で川通しで来る必要がありますが、増水していない時に浅瀬を選んでくればひざ下くらいが濡れる位で来れます。
撮影は2015年の9月です。
白瀑神社の例大祭で神輿が滝壺に入る事で有名です。1801年・1806年に菅江真澄が訪れたそうです。
残念ながら工事の影響で滝壺は濁っていましたが、流れる水は白かったので良かったです。
白瀑神社には国道101号線から見える大きな鳥居があります。
撮影は1997年7月です。
日本の滝100選で高さは100m近くあります。
巨大な一枚岩の斜面を滑らかに滑り落ちていきます。
以前の訪問時の写真です。
この時は水量が多く、上部は川幅一杯に滝幅が広がっています。 木々の葉が落ちており、下部の見通しがよくなっています(以前はまだ木々がそんなに成長してなかったせいかもしれません)。滝の下部は柱状節理となっており、落ち込みが急になっています。
水量が多くても段々となっている様子がよく分かります。ここだけ見せたら幸兵衛滝とは分かる人は少ないと思います。
おまけでもう一枚。
幸兵衛滝までの途中で垣間見えた打当川の流れです。
べっこう色の岩肌が緑の木の葉の合間から顔を覗かせており、白い川のの流れとの絡みがキレイでした。
上段と下段があり、両方とも階段状の優美な滝です。上段へは以前から立入禁止になっています。
上段が見えるように前に回り込んでみました。奥に上段が見えます。
水量の多い時の写真です。
階段状の地形を楽しむには水量が少し少なめの方が良いかもしれません。
二の滝を遊歩道の上から俯瞰した写真です。
上段と下段は少し離れていることが分かりますが、上段の手前側は山の影になってしまい、見えていません。
特徴 B6版200ページのモノクロ冊子です。愛媛文化双書の第18巻で、初版は1974年です。 登山道の概要説明だけでなく、山や神社の歴史、自然などに触れた記述もあります。 略図には沿道の植生も記されていたりします。 古い本なので、現在とは地名や地形が大きく変わっているものもある...